シナリオ骨法十箇条とは、『仁義なき戦い』などの脚本家である笠原和夫さんの『映画はやくざなり』という本に書かれた脚本術です。
シナリオ骨法十箇条は、脚本家になるなら常識として知っておくことをオススメします。
【秘伝・シナリオ骨法十箇条】知らないと損する面白い脚本の書き方

・物語におけるオタカラの効果
・2種類のオタカラ
・オタカラとカセの関係

今回は骨法その三「オタカラ」について詳しく解説していきます!
骨法その三。「オタカラ」

主人公にとって、なにものにも代え難く守るべきもの(または、獲得すべきもの)であり、主人公に対抗する側はそうさせじとする、葛藤の具体的な核のことである。
『映画はやくざなり』
「オタカラ」は、主人公がどうしても手に入れたいモノです。
著者の笠原和夫さんは、オタカラを「サッカーボール」にたとえています。
ボールを取ったり、敵に奪われたりすることで、ドラマの核心が簡潔明快に観客に理解されると言っています。
言わずもがな分かると思いますが、アクション映画ではオタカラは必須のものです。
スパイ映画の「秘密文書」、強盗映画の「ダイヤモンド」、冒険映画の「隠された財宝」などが分かりやすいオタカラですね。
逆にアクション映画ではない場合も、できるだけ目に見えるものをオタカラとして設定すると観客に主人公の目的が分かりやすく伝わります。
物語におけるオタカラの効果

オタカラは、「主人公はどこに向かうの?主人公はどうしたいの?」という疑問を観客に持たせないために設定するものです。
「何したいのか分かんないよ」という話には誰もついてきてくれません。
僕は『バチェラー』という番組が好きなんですが、『バチェラー』は、複数の女性が1人のハイスペック男性(バチェラー)をめぐって、彼から愛を勝ち取ろうとするというドキュメンタリーです。
愛を勝ち取った女性は、バチェラーからバラの花を渡され、次のステージに進むことができます。
バラをもらえなかった女性はそこで脱落サヨウナラです。
なんとか最後の1人に残ろうと、何人もの女性たちが、あの手この手でバチェラーからバラをもらおうとします。
「愛を勝ち取る」というのは目に見えづらいですが、「バラの花」というのは一目でわかるものです。
女性たちは「バラもらえた」「もらえなかった」で一喜一憂するのです。
『バチェラー』では、この「バラの花」がまさしくオタカラで、女性たちはバラをもらえるかどうかに命を賭けています。
目に見えるオタカラを設定することで、主人公の目的が観客にもはっきりと分かり、感情移入しやすくなる効果があります。
逆に、何を手に入れたいのか分かりづらい主人公には、観客は感情移入しにくいです。
2種類のオタカラ

オタカラは2種類あります。
①「マクガフィン」=目に見えるモノ
②「本当のオタカラ」=目に見えないモノ
「マクガフィン」とは、物語を構成する上で、登場人物への動機付けや話を進めるために用いられる「目に見えるモノ」のことです。
マクガフィンは、「ダイヤモンド」でも「機密文書」でもなんでもいいです。
なぜならマクガフィンは、ただの話を転がすためのゴールとして設定してあるだけのものだからです。
ロッキーの「マクガフィン」は『ヘビー級の王座』です。
これはただの目的。話の設定です。
そして「本当のオタカラ」は『自分の尊厳を取り戻すこと』ですね。
これは「目に見えないモノ」です。
目的に向かって頑張った結果、手に入れることができたものです。
結局、ロッキーは判定負けしてしまったので『ヘビー級の王座』を手に入れることはできませんでした。
しかし、『本当のオタカラ』手に入れ、自分の尊厳を取り戻しました。
マクガフィンは、実は手に入れようが入れまいが、どうでもいい「ただのモノ」なのです。
重要なのは、マクガフィンを追い求めた結果、「目には見えない本物のオタカラを手に入れられたのか」という事です。
「目に見えるオタカラ」ではなく、「目に見えないオタカラ」を手に入れた主人公に、観客たちは感動するのです。
オタカラとカセの関係

オタカラとカセには密接な関係があります。
結論を言うと、オタカラが無いとカセが機能しないのです。
映画『スタンド・バイ・ミー』を例にあげてみていきます。
・時間のカセ…年上不良グループより先に死体を見つけなければいけない。
・約束のカセ…4人だけで死体を見つけると決めた。
・身体のカセ…全員子供
・マクガフィン…死体
・本当のオタカラ…友情、勇気、精神的な成長、など
「噂に聞いた死体を見つければ有名になる。英雄になれる」という動機から、少年4人が死体探しの旅に出ます。
死体探しの旅に出た結果、4人は子供たちだけで無事『死体』を発見します。
しかし、そこは実際どうでもよくて「本当のオタカラ」(目に見えないオタカラ)を最終的に手に入れるのです。
それは『友情』や『勇気』などです。
「本当のオタカラ」はいつの時代も普遍的なものです。
どんな映画でも『言葉でも言い表せられない大切ななにか』を主人公は最終的に手に入れます。
オタカラが設定されることで、カセが意味を持ちます。
主人公がオタカラを欲しがれば欲しがるほど、カセは強く機能します。
そして、そうなるほど物語というものは面白くなります。
劇的なシーンや、素晴らしいセリフは、「簡単には手に入らない何かを求めるキャラクターがいる」という状況でのみ生まれます。
・骨法その一、コロガリ>>>>【秘伝・シナリオ骨法十箇条】知らないと損する面白い脚本の書き方【その一、コロガリ】
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